ヨーロッパで最も刺激的な町、ベルリン観光でしたい10のこと

かつてはプロイセン王国やドイツ帝国の都として、分断時代には旧東ドイツの首都、そして現在は統一ドイツの首都として、ドイツの歴史の中心であり続けてきたベルリン。

世界的に有名な観光スポットや歴史的建造物を多数抱えるこの町は、ドイツの歴史を語るうえで欠かせない存在です。

過去と現在が交錯するベルリンは、ドイツに興味を持ったら一度は訪れたい町。

世界史の舞台になった場所であると同時に、ファッションやアート、グルメなど多方面にわたるトレンドを生み出す流行の発信地で、ヨーロッパで最も刺激的な町のひとつです。

常に進化を続けるドイツの首都、ベルリン観光でしたい10のことをご紹介しましょう。

ベルリンのシンボルと対面

ベルリンと聞いて多くの人が思い浮かべるのが、ブランデンブルク門のある風景ではないでしょうか。

ベルリン中心部、パリ広場に建つブランデンブルク門は、ベルリンを紹介するガイドブックの最初のページに登場するベルリンのシンボル的存在。ベルリンに行ったことがなくても、映像や写真などでその姿を目にしたことがあるという人も多いはずです。

ブランデンブルク門はもともと、1788~1791年にプロイセン王国の凱旋門として建てられた記念門ギリシャ・アテネの神殿の門をモデルに、建築家カール=ゴットハルト=ラングハンスが設計したもので、ドイツ古典主義建築の傑作といわれています

高さ26メートル、幅65メートルの壮大なる門を目にすれば、「ベルリンにやってきたんだ!」という実感が湧いてくるはず。

門の上に飾られている勝利の女神とカドリガ(4頭立ての馬車)の像は、1806年にプロイセンを破ったナポレオンによって持ち去られてしまいますが、1814年にベルリンに戻されました。

ベルリンが東西に分断していた時代には、すぐそばに壁があったため、ブランデンブルク門は事実上壁の一部になっていて、門をくぐることはできませんでしたが、ベルリンの壁が崩壊した後は、統一ドイツのシンボルに

そんな歴史を知って門をくぐれば、感激もひとしおです。

博物館島でアートと歴史にふれる

ベルリン観光の目玉ともいえるのが、世界遺産にも登録されている博物館島

シュプレー川の中州に、ペルガモン博物館、新博物館、ボーデ博物館、旧ナショナルギャラリー、旧博物館という5つの博物館が集まっているためにこの名があります。

この場所に初めて博物館ができたのは、1830年のこと。はじめに、プロイセン王室のコレクションを所蔵するために、旧博物館が誕生しました。それから100年のあいだにほかの4つの博物館が完成し、1990年にはユネスコの世界遺産に登録されています

5つの博物館はそれぞれに展示内容が異なっており、すべてを見て回ろうと思えばまる一日あっても足りないほど。観光時間に限りがあるなら、見たいスポットを絞って見学するのがおすすめです。

博物館島にある施設のうち最も人気が高いのが、年間約100万人もの見学者が訪れるペルガモン博物館

古代ギリシアのペルガモンで発掘された「ゼウスの大祭壇」が再建されているほか、鮮やかな青色のレンガを使った古代バビロニアの「イシュタル門」をはじめ、古代の貴重な遺跡が当時そのままに再現された壮大なスケールの展示は圧巻です。

古代エジプトに興味があるなら、古代エジプト美術の最高傑作といわれるベルリンの至宝「王妃ネフェルティティの胸像」を展示する新博物館も必見

絵画好きなら、18~20世紀のロマン主義や古典主義といったドイツ絵画に加え、マネやセザンヌの印象派絵画が充実する旧ナショナルギャラリーに足を運んでみるといいでしょう。

ほかに、ボーデ博物館は彫刻やビザンチン芸術、貨幣コレクションなどを、旧博物館は古代ギリシアやローマのアンティークコレクションを展示しています。

大聖堂の威容に感動

博物館島の一画、ルストガルテンに面して建つのがベルリン大聖堂。ベルリン最大の教会であり、ベルリンで最も重要なプロテスタントの教会です。

何度か建て替えや修復が行われた後、今日見られるような姿になったのは1905年のヴィルヘルム2世の時代のこと。イタリア盛期ルネッサンスとバロックを組み合わせた独特の様式は、ドイツの大聖堂としてはやや異色のスタイルです

特に目を引くのが、114メートルの高さを誇る目にも鮮やかなブルーのドーム。

ドームの内側は、イエスが説いた8つの幸福の教えを示すモザイク画とステンドグラスで飾られていて、「荘厳」という表現がぴったりです。

ベルリン大聖堂は、ドイツ帝国皇帝などを輩出したホーエンツォレルン家の記念教会としても知られていて、クリプト(地下墓所)には、94ものホーエンツォレルン家の棺が並んでいます

大聖堂にやってきたら、ドームの上に設けられた展望台からの眺めも必見。270段の階段をのぼった先には、博物館島やテレビ塔をはじめ、ベルリン市街のパノラマが待っていますよ。

まさに荘厳、ホーエンツォレルン家の墓所がある「ベルリン大聖堂」

ベルリンの壁を訪ね歩く

1961年8月13日、突如として東西ベルリンの境界線が封鎖され、「壁」が出現。

最初の壁の建設は1961年8月12~13日の深夜にかけて行われたため、ベルリン市民がいつも通り朝目を覚ましたら、東西ベルリンの行き来ができなくなっていたのです。突然の壁の出現により、職を失ったり家族や友人と会えなくなったりする人々が続出しました。

それから1989年11月9日に崩壊するまで、東西冷戦の象徴として数々の悲劇を生んだベルリンの壁・・・壁を超えようとして警備隊に射殺されるなど、壁が原因で命を落とした人々は少なくとも136人にのぼります。

ベルリンには、現在も負の遺産である「壁」が残っている場所がいくつかあります

今となっては、「ベルリンの壁は東西ドイツの境界にあった」「東ベルリンと西ベルリンの境界に(のみ)あった」と誤解されることもありますが、実際にはベルリンの壁は、旧西ドイツに属していた西ベルリンをぐるりと囲む形で造られました

最も有名なのは、アートスポットと化した「イーストサイドギャラリー」。オスト駅近くのミューレン通りに残る壁、およそ1.3キロがオープンギャラリーになっていて、100名以上にのぼるドイツ国内外のアーティストが出がけたストリートアートを見ることができます。

なかでもアイコン的存在としてよくガイドブックなどに登場するのが、旧ソ連のブレジネフ書記長と旧東ドイツのホーネッカー書記長の「兄弟のキス」。ベルリンの壁といえば、この絵を思い浮かべる人も多いことでしょう。

一方で、東西ベルリンを隔てていた国境としての壁の様子がよくわかるのが、北駅から延びるベルナウアー通りにある「ベルリン・ウォールメモリアル」

東西のあいだに緩衝地帯が設けられていた当時の壁の構造が再現されており、ストリートアートの一切ない冷え冷えとした壁の風景は、ベルリンの壁が生んだ悲劇を肌で感じさせます。

ベルリンの壁による東西分断の背景や実態について、より詳しく知りたい人は、「ベルリンの壁記録センター」にもぜひ足を運んでみてください。

DDR(旧東ドイツ)時代を知る

東西冷戦時代、ドイツが東西に分断されたことはよく知られていますが、旧東ドイツでの生活がどのようなものだったのか、どこが旧西ドイツと違っていたのかについては意外と知られていません。

そんな旧東ドイツでの生活がリアルに学べるスポットが、ベルリン大聖堂の近くにある「DDRミュージアム」。旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)は、ドイツ語で「Deutsche Demokratische Republik」といい、しばしば略して「DDR」と呼ばれます。

このDDRミュージアムでは、旧東ドイツの人々の生活空間を再現した部屋、旧東ドイツの国民車、旧東ドイツで流通していた商品など、その当時の品々を使って、教育、労働、メディア、余暇、消費、軍隊、スポーツなど、多角的な視点から旧東ドイツの生活と社会を紹介

扉を開けると展示品や説明文などが現れるといった仕掛けも多数ある体験型のミュージアムで、肩ひじ張らず、楽しみながら旧東ドイツの世界にふれられるのが魅力です。

ベルリンで最も美しい宮殿を訪ねる

近現代建築のイメージが強いベルリンにあって、まるで別世界のような優雅な光景が見られるのが、「ベルリンで最も美しい宮殿」といわれるシャルロッテンブルク宮殿

ベルリンのシャルロッテンブルク地区にあるこの宮殿は、初代プロイセン王となったフリードリヒ1世の命により建設された夏の離宮です

フリードリヒ1世の妻、ゾフィー・シャルロッテに捧げられた宮殿で、もともとは「リーツェンブルク宮殿」と名付けられていましたが、わずか36歳でこの世を去った王妃を悼んで、「シャルロッテンブルク宮殿」に改称されました。

バロック様式をベースに、ロココ様式などさまざまな建築様式を組み合わせて建てられた宮殿内部は、フランスのヴェルサイユ宮殿をモデルにしたともいわれるだけに、実に華やか

なかでも圧巻なのが、当時ヨーロッパの王侯貴族のあいだで流行していた東洋趣味を体現した「陶器の間」です

金色の壁に2700点以上もの中国や日本の陶磁器が並べられた空間は、目を見張るほどのきらびやかさ。一度見ると忘れられないほどで、「これを見るためだけでもシャルロッテンブルク宮殿を訪れる価値がある」といっても過言ではありません。

【ベルリン】王妃に捧げた美しき夏の離宮「シャルロッテンブルク宮殿」

人類の負の歴史を学ぶ

第二次世界大戦下、ナチス・ドイツは数百万人ものユダヤ人を直接的・間接的に殺害しました。負の遺産として世界遺産に登録されているポーランドのアウシュビッツ強制収容所はあまりにも有名ですね。

第二次世界大戦後のドイツは、失墜した国家の信用と国際社会での地位を取り戻すため、徹底して過去の過ちと向き合い、反省し、過ちを子どもや孫たちに伝えるということを繰り返してきました

その一環として建設されたのが、ベルリンにある「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」

その名の通り、ヨーロッパでホロコーストの犠牲になったユダヤ人のための記念碑で、1万平米以上の敷地に2711ものコンクリート製ブロックが並ぶ不思議な光景が広がっています。

驚くべきが、この広大な面積を占有する記念碑が、ベルリンの心臓部であるブランデンブルク門のすぐ近くに設けられており、公開されたのが2005年と比較的最近であること。この事実は、ドイツにおいてホロコーストはまだ完全に過去のものにはなっていないということを感じさせます。

地下には情報センターもあり、ホロコースト犠牲者に関する資料やユダヤ人の生活などが紹介されています

ナチス・ドイツのホロコーストについてもっと深く知りたい人は、2000年にわたるユダヤ人の歴史を紹介するユダヤ博物館や、ベルリン近郊のオラニエンブルクにあるザクセンハウゼン強制収容所にも足を延ばしてはいかがでしょうか。

本場のカリーヴルストに舌鼓

さまざまなB級グルメ屋台がしのぎを削るベルリン。なかでも一度は食べておかずにはいられないのが「カリーヴルスト」でしょう

グリルしたソーセージを輪切りにし、ケチャップベースのソースとカレー粉をかけたシンプルな屋台グルメで、ベルリンにはいたるところにカリーブルストの屋台があります。

カリーヴルストは、第二次世界大戦後の貧しかったドイツで、手持ちの食材を工夫して生み出された食べ物発祥の地については諸説ありますが、ベルリンでは1949年にソーセージ屋台を経営していたヘルタ・ホイヴァーという女性が発明したというのが定説になっています

ベルリンっ子には、それぞれにお気に入りのカリーヴルスト屋台があり、どの店がおいしいかで議論を戦わせることもあるほど身近な存在。とりわけ「Curry36」や「コノプケ」が有名です。

ベルリンには、なんとカリーヴルストの歴史や調味料の秘密、屋台のしくみなどを紹介する「ドイツ・カリーヴルスト博物館」まであるほど。本場のカリーヴルストにハマったら、ミュージアムを訪ねてその背後にあるストーリーを紐解いてみるのもいいでしょう。

アンペルマングッズを大人買い

ベルリンを代表する「有名人」といえば、なんといっても「アンペルマン」。旧東ドイツで誕生した信号機のキャラクターですが、今では信号機にとどまらず、衣類や雑貨、食品など、さまざまなアイテムにデザインされて大人気となっています。

東西ドイツ統一後、旧東ドイツの信号機はしだいに旧西ドイツのものに取って代わられたため、アンペルマン信号機は一時消滅の危機に瀕しました

しかし、アンペルマンを守ろうという運動の甲斐あって、復活。今では旧東ドイツのみならず、旧西ドイツの都市にもアンペルマン信号機があるほどです。

アンペルマンの聖地ベルリンには、8軒の公式アンペルマンショップがあり、店内まるごとアンペルマンの世界を体験することができます

おすすめは、ハッケシャー・ホーフにあるショップや、ウンター・デン・リンデンのショップ

Tシャツやバッグ、マグカップ、タオル、ノート、石鹸、グミ、パスタなどありとあらゆるアンペルマングッズが揃うので、ファンならずとも欲しいものが見つかるはずです。

ショップにレストランまで!ベルリンの有名人「アンペルマン」に会いに

オリジナルのリッタースポーツをオーダー

世界トップクラスのチョコレート大国、ドイツを代表する大衆チョコレートブランドが「リッタースポーツ」。日本でも販売されているので、カラフルな四角いパッケージに見覚えがあるという人も少なくないことでしょう。

ベルリンには、スーパーでは買えない商品も含め、あらゆるリッタースポーツ商品が手に入る旗艦店「ブンテ・ショコヴェルト・ベルリン」があります

ビーガンやラクトースフリー、オーガニックなど、体質や嗜好に配慮したチョコレートや、バッグなどのオリジナル雑貨、お得なアウトレット商品まで、普通のスーパーでは手に入らないリッタースポーツ商品が勢揃い。ミニサイズの個包装のチョコレートを好きなだけ詰められる量り売りコーナーもあります。

好みのチョコレートやトッピングを選んで、オリジナルのチョコレートがオーダーできるサービス「マイネ・ショコ・クリエイション」も人気。市販のリッタースポーツのチョコレートに比べずっと「具だくさん」なうえ、グミなどユニークなトッピングもあり、選ぶ楽しさ満点です。

オリジナルチョコのオーダーも!ベルリンのリッタースポーツ旗艦店「ブンテ・ショコヴェルト」

おわりに

ドイツの首都だけに、プロイセン王国時代の歴史的建造物から、東西冷戦のシンボル、さらにはドイツブランドの旗艦店まで、多彩なスポットが目白押しのベルリン。

できれば3泊以上滞在して、表情の異なるさまざまなエリアを巡ってみたいものです。

ひとつの町が分断されて、2つの異なる国に属していたベルリンは、世界的に見ても特異な歴史をもつ町。旅行前に現代史を予習しておけば、ベルリンの旅がもっと楽しくなること間違いありません。