古典主義とバウハウス、2つの世界遺産をもつ文化の都・ワイマール

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「ワイマール憲法」であまりにも有名な、ドイツ東部の都市ワイマール。ゲーテ街道沿いに位置するワイマールは、ドイツ・クラシック文化やバウハウスを生んだ、ドイツを代表する文化都市のひとつです。

バウハウス創設から100年、さらにワイマール憲法採択100周年でもある2019年は、ワイマールにとって2重のエポックイヤー。いまこそ、ゲーテが生涯の大半を過ごした世界遺産の街を訪ねてみませんか。

古典主義の都ワイマール

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ドイツ中東部に位置するテューリンゲンの都市、ワイマール(ヴァイマール)。「ワイマール」の名を聞けば、「ワイマール憲法」を真っ先に思い浮かべるという人も少なくないことでしょう。

人口6万人強の小都市でありながら、ドイツ・クラシック文化が花開いたワイマールは、ドイツの近現代史においてきわめて重要な役割を果たした街。それは、この街が「ワイマール 古典主義の都」として世界遺産に登録されていることからもうかがえます

ゲーテにシラー、ヘルダー、ニーチェ、リスト、バッハ、グロピウス・・・と、ワイマールゆかりの偉人には枚挙にいとまがありません。とりわけ文豪ゲーテが生涯の大半を過ごした街として有名で、ワイマールはゲーテゆかりの地を結ぶ「ゲーテ街道」にも属しています。

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1919年には、この地で民主的なワイマール憲法が採択され、ドイツで最初の共和国が成立しました

ゲーテがワイマールについて「これほど小さいにもかかわらず、これほど素晴らしいもののあるところが、いったいどこにあるだろう」と語った通り、落ち着いた日常のなかに、脈々と受け継がれてきた歴史が横たわるワイマールは、この街ならではの文化的な居心地の良さで満ちています。

※古典主義:古代ギリシア・ローマの優れた作品を模範とし、それに倣おうとする態度。

2つの世界遺産を有する街

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実は、ワイマールは2つの世界遺産を有する街。古典主義に関連する歴史的建造物群が「ワイマール 古典主義の都」として世界遺産に登録されているのに加え、バウハウス関連の建造物群も、「デッサウとワイマールのバウハウスとその関連遺産群」として世界遺産に登録されているのです

モダンデザインの基礎を築いた伝説の美術学校「バウバウス」は、1919年、ワイマールで産声を上げました。その後1925年にデッサウに移転し、デッサウで最盛期を迎えます。

バウハウスが学校として活動したのは、1933年にナチスにより閉校を余儀なくされるまでのわずか14年間。にもかかわらず、現代も日本を含む世界のデザイン業界に影響を与え続けているのです。

ワイマールへのアクセス

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ワイマールは、テューリンゲン州の州都エアフルトから近く、エアフルト中央駅からワイマール駅までは、普通列車(REまたはRB)でわずか12~15分。

ほかにアクセスの良い大都市としてライプツィヒがあり、ライプツィヒ中央駅からワイマール駅までは、都市間特急(IC)でおよそ1時間10分。普通列車(RB)なら、約1時間20分です。

ワイマール駅から街の中心部までは、徒歩でおよそ15~20分。公共交通機関を利用する場合は、駅前で1番か7番のバスに乗り、ゲーテ広場(Goetheplatz)で下車するといいでしょう。

国民劇場

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ワイマールを象徴する建造物が、ゲーテとシラーの像が誇らしげに立つ国民劇場。ゲーテの「ファウスト」やシラーの「ウィリアム・テル」などが初演された場所で、リストやシューマン、ワーグナーらも活躍しました

1919年には、ここでワイマール憲法が採択されるなど、国民劇場はワイマールの文化と政治の重要な舞台でした。現在も、コンサートなどが行われる現役の劇場として稼働しています。

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国民劇場を訪れた際には、ゲーテとシラーの背丈に注目してみてください。銅像を見る限り、2人の偉人は同じくらいの背丈に見えますが、実際にはシラーのほうがずっと背が高かったといいます。先輩であるゲーテへの敬意を表す意味合いもあって、このような形で銅像が制作されることとなりました

ゲーテの家

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1775年、ワイマール公国のカール・アウグスト公の招聘を受けてワイマールにやってきたとき、ゲーテはまだ26歳でした。その後、82歳でその生涯を閉じるまで、人生の大半をワイマールで過ごしています

ワイマール中心部に建つ「ゲーテの家」は、1782年から1832年までのあいだゲーテが暮らしていた家。現在は博物館として公開されていて、当時のゲーテのリアルな暮らしぶりをうかがうことができます。

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ゲーテは「そのほうがはかどる」と立ったまま執筆することを好み、この家の書斎では、「ファウスト」や「詩と真実」をはじめとする数々の名作が生まれました。

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落ち着いた雰囲気の寝室は、ゲーテ臨終の場所。「もっと光を」の言葉を残し、ゲーテが息を引き取ったのは「ファウスト」を書き上げた翌年、1832年のことでした。

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「ゲーテの家」には「ゲーテ国立博物館」も併設されていて、11のテーマに基づいて、ゲーテの遺品や関連資料が展示されています。「文豪」として有名なゲーテですが、その興味の幅は実に広く、政治や地質学、生物学、植物学、光学にも造詣の深かったゲーテの多才ぶりを知ることができます。

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加えて、多くの恋を経験したゲーテのきわめて人間的な部分を浮き彫りにする展示も。この博物館を訪れれば、偉人ゲーテに対し、にわかに親しみがわいてくるはずです。

マルクト広場

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ワイマールの街の中心が、マルクト広場。小都市らしくこぢんまりとしていますが、美しい歴史的建造物に囲まれた広場で、16世紀以降の姿をとどめています

その中核をなす市庁舎は、14世紀に初めて史料に登場する歴史ある建物で、何度も破壊された後、1841年にネオゴシック様式で再建されました。

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市庁舎の向かいに、観光案内所の隣に建つルネッサンス様式の立派な建物は、ワイマールで暮らした画家クラーナハの家で、彼は1553年で亡くなるまでの晩年をここで過ごしています。

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ワイマールのマルクト広場には、しばしばこの地方の名物ソーセージ「テューリンガーヴルスト」の屋台が出ています。にんにくとハーブを練りこんだテューリンガーは、ドイツの焼きソーセージの定番で、小さなパンにはさんで食べるのが本場流。

バウハウス大学

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ワイマールでは、古典主義関連の見どころに加え、バウハウス関連の建造物群も見逃せません。バウハウスの流れをくむバウハウス大学の本部棟は、世界遺産「デッサウとワイマールのバウハウスとその関連遺産群」の構成資産の一部

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かつてのバウハウスの校舎で、工業デザイン学校、建築土木工科を経て、1996年にバウハウス大学と改称されました。現役の大学でありながら、校舎内は自由に見学することができ、らせん階段やランプ、壁のアートワークなど、随所にバウハウスの美意識を感じることができます

2019年はワイマールにとって特別な年

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今年はワイマールにとって特別な年。というのも、2019年はこの地でバウハウスが誕生してからちょうど100年目の年であり、ワイマール憲法採択からも100周年の節目の年だからです。

ワイマールを訪れるなら、2重のエポックに沸く今年。4月には新しいバウハウス博物館も開館予定です。