「エルベ川のフィレンツェ」「百塔の都」とも称えられきた、ザクセン州の州都ドレスデン。
重厚な古都の風景を彩るバロック建築のなかでも、ドレスデンの象徴的存在として愛されているのがフラウエン教会です。
第二次世界大戦の爆撃により、無残にも崩壊。「世界最大のジグソーパズル」ともいわれた大規模な再建作業を経て、その優美な姿を取り戻しました。
その再建までの道のりは、ドレスデン市民の地道な努力と熱意が実を結んだ、感動のストーリーです。
Contents
優雅なバロック様式の教会
ドレスデン旧市街のノイマルクト広場に建つフラウエン教会(聖母教会)は、ドイツ最大のプロテスタント教会。直径25メートルの大ドームをもつバロック様式の教会で、1726年から1743年にかけて建設されました。
丸いドームは砂岩製。イタリア人建築家、ゲオルゲ・ベアは、当時の「屋根は銅張り」という常識に対抗し、砂岩にこだわったために「石の釣り鐘」と呼ばれています。
大砲の弾をも跳ね返すほど堅固な造りで、かつては「破壊不可能な教会」とも呼ばれていました。
力強い構造とは対照的に、内部は実に優美。ドームには4人の福音記者であるマタイ、ヨハネ、ルカ、マルコが描かれており、「聖母教会」の名の通り、白を基調とした女性的な柔らかい雰囲気が印象的です。
「破壊不可能な教会」とも呼ばれた強固なフラウエン教会。ところが、第二次世界大戦の爆撃はそれが事実ではないことを証明してしまうのです。
ドレスデン爆撃による崩壊
第二次世界大戦下の1945年2月13~14日、英米同盟軍によるドレスデン爆撃が行われました。フラウエン教会は爆撃による直接的な破壊は免れ、地下聖堂に避難した300人を守り切りましたが、爆撃翌日の2月15日についに崩壊。
教会周囲と内部の温度は1000度にも達したといい、内部にこもった熱のせいで1200トンもの重さがあるドームを支えきれなくなったため、ドームが倒壊。柱や外壁は粉々になり、見るも無残な姿になってしまいました。
45年間にわたって廃墟のまま
フラウエン教会の再建を望む声は、第二次世界大戦の末期からすでに上がっていました。フラウエン教会の再生を願うドレスデン市民は、終戦直後から、教会の破片の資材を回収し、将来復元に用いるために番号を振っていたといいます。ところが、戦後ドレスデンは共産主義国家である旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)の一部となったため、宗教施設である教会の再建は重視されず、45年間にわたって瓦礫のまま放置されることになりました。
こうしてフラウエン教会の瓦礫の山は戦没者記念碑として保存されることになりましたが、その瓦礫すらも完全に撤去されそうになったことが何度もあったといいます。
しかし、フラウエン教会の保存を望む市民感情に配慮して、教会はなんとか廃墟の状態で残されることとなりました。
戦後60年を経て再建が完了
フラウエン教会再建の機運が本格的に高まったのは、東西ドイツが統一を果たした1990年のこと。
教会の再建が全世界に呼びかけられ、世界各地の企業や団体、個人から、再建のための寄付が寄せられます。こうして集まった資金により、1994年にようやく再建工事が開始され、2004年に外装が、2005年に内装が完成しました。
再建に要した歳月は実に11年。第二次世界大戦の傷跡の象徴であったフラウエン教会の再建が完了したのは、今からわずか10数年前のことなのです。
2005年の10月に行われた完成式典には6万人もの人が集まり、美しいフラウエン教会の再建を喜び合いました。当時、教会の入口には見学を希望する人々で長蛇の列ができ、その列は翌朝の5時まで途切れることはなかったといいます。
再建作業は「世界最大のジグソーパズル」
フラウエン教会の再建にあたっては、可能な限りオリジナルの資材が用いられました。
瓦礫から石を運び出し、それぞれの石がどの位置にあったのかを特定。オリジナルの石または新しく用意した石とつなぎ合わせていくという作業は、すべてを新しく建て直すよりもずっと手間暇のかかる作業。これは「世界最大のジグソーパズル」とも呼ばれたほど大がかりなものでした。
8500以上のオリジナルの石が廃墟となったフラウエン教会から回収され、そのうち約3800が再建に使われたといいます。
再建後のフラウエン教会は、全体的に明るい、白っぽい色をしていますが、近づいて見てみると、白っぽい石と黒っぽい石が混ざり、つぎはぎのようになっているのがよくわかります。
黒い部分は、オリジナルの資材が使われた箇所。このつぎはぎ模様には、「できるだけ元通りの姿に」と願ったドレスデンの人々の熱い想いが込められているような気がします。
教会の西側には、今も瓦礫と化した教会の石壁がモニュメントとして残されています。
かつての敵国から贈られた十字架
現在フラウエン教会のドームのてっぺんに立っている十字架は、かつての敵国であるイギリスから和解の印として贈られたもの。ドレスデン空爆を行った兵士の息子によって制作されたといいます。
オリジナルの十字架は、あえて修復はせず戦争記念碑としてそのまま残されることになりました。教会内陣右翼にひっそりとたたずむ焼けただれた十字架・・・
この十字架は、単に戦争の悲惨さを伝えるのみならず、新しく生まれ変わった教会とここを訪れる人々を見守ってくれているかのような、平和の大切さを静かに語りかけてくるような不思議な存在感を醸し出しています。
展望台から一望するドレスデンの町並み
フラウエン教会の見どころは、美しい外観と内装だけではありません。ドームの上には展望台が設けられており、エレベーターと階段で展望台に上ると、そこからドレスデン市街のパノラマを楽しむことができます。
第二次世界大戦によって、フラウエン教会を含め、町の85パーセントが破壊されたドレスデン。
現在見られる古都の情緒薫る町並みは、再建に携わった人々の努力の結晶です。そう考えると、美しいドレスデンの町並みがますます尊く、特別なものに思えてくるのではないでしょうか。
おわりに
悲惨な戦争の傷跡から、平和の象徴へと生まれ変わったドレスデンのフラウエン教会。優美で慈悲深い空間は、訪れる人すべてを柔らかく包み込んでくれるような気がします。