【世界遺産】「ドイツ文化の源流」と呼ばれるヴァルトブルク城に魅せられる

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「ドイツ旅行」と聞けば、「お城」を思い浮かべる人も少なくないことでしょう。ドイツには、「ドイツ三大名城」と呼ばれるホーエンツォレルン城、ハイデルベルク城、ノイシュヴァンシュタイン城をはじめ、無数のお城があります。

日本で圧倒的に知名度が高いのは、ロマンティック街道沿いにあるノイシュヴァンシュタイン城ですが、「ドイツ文化の源流」ともいわれる、ドイツの歴史と文化に大きな影響を与えた古城はほかにあります。それが、ドイツにある中世の古城としては、唯一単独で世界遺産登録されているヴァルトブルク城です。

バイエルン王ルートヴィヒ2世も魅せられ、ノイシュヴァンシュタイン城の内装のモデルにしたという特別な中世の古城、ヴァルトブルク城を訪ねてみましょう。

世界遺産ヴァルトブルク城

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ドイツ中部・テューリンゲン州のアイゼナハ近郊。緑に覆われた山上にそびえるのが、ドイツ屈指の名城・ヴァルトブルク城です。

ドイツには数えきれないほどの古城がありますが、単独で世界遺産に登録されている中世の城塞は、このヴァルトブルク城のみ。ドイツ史上最も重要な城のひとつであるヴァルトブルク城は、「ドイツ文化の源流」「ドイツ人の心のふるさと」ともいわれる特別な城なのです。

ロマン主義の時代、文豪ゲーテもヴァルトブルク城に魅せられ、作曲家ワーグナーは、中世の時代ここで行われた吟遊詩人たちによる歌合戦をモチーフに、オペラの大作「タンホイザー」を書き上げました。

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ドイツ史上ゆるぎない存在感を誇るヴァルトブルク城は、1067年にテューリンゲン伯ルートヴィヒ・デア・シュプリンガーが築いた城砦に始まります。現在残る主要部分は、1170年に後期ロマネスク様式で建てられたもので、現在も本物の中世の雰囲気が残っています。

ドイツで最も保存状態の良い中世城塞のひとつであるヴァルトブルク城は、1999年には世界文化遺産に登録されました。

「ヴァルトブルク」という城の名前の由来には諸説ありますが、若きルートヴィヒ・デア・シュプリンガーが狩の最中に小高い山を見つけ、「待っていろ、ここに俺の城を作ろう。「Warte Burg!(ヴァルテ、ブルク)」 と言ったという言い伝えがあります。

歴史の舞台となったヴァルトブルク城

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「ドイツ文化の源流」「ドイツ人の心のふるさと」といわれるだけに、ヴァルトブルク城は幾度となく歴史の舞台となってきました。

ヴァルトブルク城の歴史を彩ってきたのは、聖女エリザベートやルター、ゲーテ、ワーグナーといったそうそうたる人物たち。

13世紀には、のちに聖人に列せられたハンガリー王女エリザベートがわずか4歳でこの地に連れてこられ、テューリンゲン方伯に嫁ぎ、一時ヴァルトブルク城で暮らします。

同時代、今でいう「シンガーソングライター」、吟遊詩人や宮廷恋愛詩人が歌合戦を繰り広げ、のちにワーグナーのオペラ「タンホイザー」の題材にもなりました。16世紀には宗教改革者のルターがヴァルトブルク城に身を隠し、新約聖書をドイツ語に翻訳したことが現代ドイツ語の確立につながっています。

このように、エリザベートの列聖や、オペラ「タンホイザー」の誕生、ルターによる聖書のドイツ語訳とそれに端を発する現代ドイツ語の確立など、数々の歴史上の出来事と密接に関係していることから、ヴァルトブルク城はドイツ人の精神的・哲学的なシンボルになっているのです。

1620年~1648年の三十年戦争を経て、ヴァルトブルク城は一時、急速に朽ちていきますが、1777年にゲーテによって「発見」されます。この城を愛したゲーテの提言もあって、城の再建が決定し、現在につながっています。

ヴァルトブルク城へのアクセス

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ヴァルトブルク城は、アイゼナハ郊外の山の上にあります。山といってもそれほど高くはないので、中心部から30~40分で登ることができます。

「歩くのはちょっと・・・」という人は、バスもありますのでご安心を。 アイゼナハ駅から3番のLuthershuttle に乗って20分強です。(マルクト広場にも停車)

お城自体は、アイゼナハ市中心部から少し離れたところにあります。とはいえ、それほど高さのある山ではないので30分から40分ほどで登ることが可能。防寒着などは必須ですが、ハイキングの要領で訪れることができます。

豪華なモザイクが圧巻の「エリザベートの間」

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ヴァルトブルク城で特に印象的な部屋のひとつが、聖女エリザベートの生涯を表すガラスのモザイクで覆われた「エリザベートの間」。

エリザベート(エルジェーベト)は、13世紀に生まれたハンガリー王女で、病気の治療で奇跡を起こしたとして聖人に列せられました。ヘッセン州のマールブルクには、彼女の名のついた有名な大聖堂があります。

エリザベートはわずか4歳で政略結婚のためにテューリンゲンに連れてこられ、14歳で結婚。ヴァルトブルク城で一時期を過ごしますが、夫を亡くしヴァルトブルク城を追われた後は、高貴な身分でありながら貧者や病人の救済に尽くしました。

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ヴァルトブルク城の「エリザベートの間」には、誕生の場面、ヴァルトブルク城にやってきた場面、婚姻の場面、追放された場面、聖人に列せられた場面などが広間の4面にわたって広がっています。

もともとこの部屋にはロマネスク風の歴史画が描かれていましたが、ヴィルヘルム2世の命によって、1902年から1906年にかけてエリザベート妃の生涯を表すガラスのモザイクで装飾されました。黄金色に輝くモザイク画は、とても豪華ですが、単に豪華というだけでなく、聖女エリザベートにふさわしい、高貴で荘厳な雰囲気を醸し出しています。

タンホイザーの題材になった「歌合戦の間」

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「エリザベートの間」同様、ヴァルトブルク城を代表する部屋が「歌合戦の間」。有名な「ヴァルトブルクの歌合戦」の様子が、躍動感あふれる壁画として残されています。

12世紀~13世紀初めごろのヴァルトブルク城には、多くの詩人や「ミンネゼンガー」と呼ばれる宮廷恋愛詩人が招かれ、歌合戦を繰り広げていました。

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ドイツで最も有名なミンネゼンガー、ヴァルター・フォン・フォーゲルワイデやヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハらが競い合う様子を題材にしたのが、ワーグナーのオペラ「タンホイザー」です。

当時の歌合戦は大変白熱したもので、なかには、敗れたものは処刑されるという、命がけの戦いもあったとか。当時の歌合戦が、現代では考えられないほど、いかに重大なものであったかがわかりますね。

ノイシュヴァンシュタイン城のモデルになった「祝宴の間」

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ヴァルトブルク城のなかでも特に大きく、壮麗な印象を与える部屋が「祝宴の間」。19世紀の再建で現在の姿になったこの部屋は、当時の人々から見た「理想の中世の広間」を表しています。

そしてこの部屋は、かのノイシュヴァンシュタイン城の部屋のモデルにもなりました。ノイシュヴァンシュタイン城を建設したバイエルン王ルートヴィヒ2世は、この広間に感銘を受け、ノイシュヴァンシュタイン城に祝宴の間を模した「歌人の間」を造らせたのです。

優れた音響効果をもつ「祝宴の間」は、現在もコンサートや文化催しの会場として使われています。

ルターが聖書を約した「ルターの部屋」

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ヴァルトブルク城ゆかりの人物といえば、宗教改革者のルターも忘れてはなりません。

カトリック教会の権威に楯突き、1521年のヴォルムス帝国議会で破門されてしまったルターは、ザクセン選帝侯にかくまわれ、ヴァルトブルク城で10カ月間の隠遁生活を送ることになります。

このときにルターが成し遂げた偉業が、新約聖書のドイツ語訳。当時は聖職者や貴族にしか読めなかったラテン語の聖書をドイツ語に翻訳することで、誰にでも読める書物にしたのです。ルターによる翻訳版は、のちに「ドイツ民族の第一の書物」と評価されるまでになり、近代ドイツ語の確立に寄与したといわれています。

ルターが聖書の翻訳に取り組んだヴァルトブルク城の一室は、今も「ルターの部屋」として当時の雰囲気そのままに保存されています。ルターが、聖書を翻訳しているところに現れた悪魔にインクを投げつけたという伝説から、壁ににインクの染みを投影する演出も。

併設の博物館では、聖書のドイツ語訳や、現代ドイツ語の成立・波及についても学ぶことができます。ヴァルトブルク城での出来事が、単なる「歴史」ではなく、現在のドイツに影響を与え続けていることがわかるでしょう。

おわりに

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日本ではあまり注目されることはありませんが、ヴァルトブルク城は、ドイツの歴史と精神史に大きな影響を与え続けてきた特別な城。本物の中世の雰囲気が残る城内に足を踏み入れれば、その存在の偉大さが肌で感じられるに違いありません。