ドイツに世界最古の社会福祉住宅があるのをご存じでしょうか。
それが、バイエルン州第3の都市・アウクスブルクにあるフッゲライ(フッガーライ)です。
このフッゲライは、設立から500年近くが経った今でもなんと現役の社会福祉住宅。しかも、500年間ずっと家賃が変わらないというから驚きです。
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2000年の歴史をもつ帝国都市アウクスブルク
世界最古の社会福祉住宅「フッゲライ(フッガーライ)」があるアウクスブルクとは、どのようなところなのでしょう。
アウクスブルクは南ドイツ・バイエルン州で3番目に大きな都市で、その歴史を紀元前15年にさかのぼります。
中世にはイタリアとドイツを結ぶ商業の中継地として栄え、15~16世紀にはフッガー家やヴェルザー家といった豪商や銀行家が台頭。アウクスブルクはヨーロッパの金融センターとなり、一時は「ヨーロッパではほかに並ぶものがない」といわれるほどの繁栄を誇りました。
日本ではその名が聞かれることの少ないアウクスブルクですが、歴史上ドイツで最も重要な都市のひとつなのです。
アウクスブルクの豪商「フッガー家」とは?
アウクスブルクの歴史とは切っても切り離せないのが、金融業や鉱山業で巨額の富を成した豪商「フッガー家」の存在です。
14~15世紀に織物商人としてはじまったフッガー家ですが、15世紀後半に蓄えた富を生かして金融業に着手。15世紀末から16世紀はじめにかけて、ヤコブ・フッガーのもとで最盛期を迎えました。
当時のフッガー家の経済力と権力はすさまじく、ローマ教皇や国王、皇帝にまで貸し付けを行っていたために、商業上の独占権を得ることができたばかりか、国際政治にまで影響力をもっていたといいます。
世界初の社会福祉住宅「フッゲライ」
そんなヤコブ・フッガーが資金を提供し、1521年に設立したのが、世界最古の社会福祉住宅と呼ばれる「フッゲライ(フッガーライ)」です。
フッゲライ創設の目的は、借金やギャンブルに手を出さず、真面目に生活を送ってきたにも関わらず貧しい境遇に陥ってしまった人々を助けること。
フッゲライの広大な敷地には8つの通りと7つの門があり、140戸あまりのアパートが並んでいます。
かつては病院や学校まで備えた「町の中の町」の様相を呈していました。昔は子どもたちの姿も多く、さぞ賑やかだったことでしょう。
フッゲライの入居条件
フッゲライの入居条件は、アウクスブルク市民であること、カトリック教徒であること、罪科がないことなど。入居者には、1日3回、フッガー家と寄進者のためにお祈りを捧げることが義務付けられています。
設立当初の入居者は、手工業者や多くの子どもを抱える大家族が多かったとか。
17世紀、天才音楽家モーツァルトの曾祖父にあたるフランツ・モーツァルトもこのフッゲライに住んでいました。彼が住んでいたミッテレレガッセ14番にはそれを記念したプレートが飾られています。
家賃は年間0.88ユーロ!
フッゲライの家賃は、なんと年間0.88ユーロ(88セント)。信じられないほど安い金額ですが、これはフッゲライの家賃がおよそ500年間ずっと変わっていないからです。
16世紀当時の家賃は年間1ライン・グルデン。当時、この金額は手工業者の2週間分の給与に相当しました。
貧者救済のための社会福祉住宅といっても、フッゲライはあくまでも働いて家賃を払い、自活することを前提とした施設だったのです。貧者はお恵みをもらって生きるという考えが主流だった当時、これは画期的な方針でした。
フッゲライ設立からおよそ500年、当然物価の上昇や通貨の変更などがありました。それでも、フッゲライは現在も1ライン・グルデンを現在の通貨に換算した0.88ユーロという家賃を変わらずに守っています。
60平米の広々としたアパート
フッゲライは住居の一部を博物館として公開していて、16世紀当時のアパートの内部と、現在のアパートの内部を見学することができます。
住居には、リビングにキッチン、ベッドルーム、バスルームが備わっていて、アパート1戸の広さは約60平米。少人数で暮らすには十分すぎるほどの広さです。
ミッテレレガッセ13・14番にある「フッゲライ博物館」では、昔のままのアパートの内部が公開されているほか、フッガー家やフッゲライの歴史を展示。
16世紀当時、一つのベッドには何人もの家族が一緒に寝ていたといい、今とはずいぶん事情が異なっていたようです。また、当時のリビングルームは手工業者の仕事場を兼ねていました。
オクセンガッセ51番の見学用住宅では、現在のアパート内部が見学可能。この広々とした空間は、日本の小さなアパートで暮らしている人が羨ましがるほどです。
緑豊かで文化的な環境
アウクスブルクの中心部にありながら、フッゲライでは豊かな緑に触れられる閑静な集合住宅。社会福祉住宅につきまといがちな暗いイメージとは一切無縁の文化的な環境です。
現在のフッゲライの住民は、ほとんどがお年寄り。
これほど恵まれた場所に年間わずか0.88ユーロの家賃で住めるわけですから、当然入居希望者は多く、フッガー家の末裔が、自ら書類審査と面談により入居希望者を選考しているといいます。
敷地内の仕事は住民が担う
フッゲライでは、敷地内で発生する仕事はできるだけ住民が担う方針を採っています。
たとえば、見学者の対応。フッゲライでは観光客に対して入場料を課していますが、入場券の販売を行っているのはフッゲライの住民。
また、フッゲライの正門は夜10時で閉まり、10時を過ぎて帰宅する住民は夜間通用口で、門番に50セントから1ユーロの心づけを渡す決まりになっています。
その門番もフッゲライの住民。フッゲライでは、それによる収入は多くないながらも、内部で雇用を生み出す仕組みになっているのです。
おわりに
1521年の設立以来、今も変わらずその精神を守り続けているフッゲライ。過去には第2次世界大戦の空爆で大きな被害を受けたこともありますが、戦後再建され今も多くの人々の暮らしを支えています。
創設者ヤコブ・フッガーの精神を受け継ぐフッゲライは、「社会福祉住宅」と聞いてイメージする無機質なイメージとは対照的に、明るく文化的で生活のぬくもりに満ちた場所なのです。
協力:ドイツ観光局
Special thanks to the city of Augsburg