ドイツで最も人気のある観光街道といえば、ロマンティック街道。
ロマンティック街道沿いには、中世の面影を残すメルヘンチックな町々が連なっていますが、ロマンティック街道の魅力はそれだけにとどまりません。
ルネッサンス期にヨーロッパの金融・商業の中心地として栄えたアウクスブルクには、市庁舎をはじめとする壮麗な建築物が次々と建てられ、ルネッサンス文化が花開きました。
貫録漂う華やかな町並みに、豊かな歴史がぎっしりと詰まったアウクスブルク。この町で訪れたい、10のおすすめ観光スポットをご紹介しましょう。
Contents
2000年の歴史をもつ帝国都市アウグスブルク
ロマンティック街道沿い、バイエルン州南部のシュヴァーベン地方に位置する都市、アウグスブルク。
その名は、ローマ皇帝アウグストゥスの時代、紀元前15年にローマ人によって町が築かれたことに由来しています。皇帝アウグストゥス自身は直接アウグスブルクの建設には携わりませんでしたが、2人の息子と軍を送り込み、都市の建設にあたらせました。
その歴史は実に2000年以上。ドイツでは、ローマ遺跡の町として名高いトリーアに次いで2番目に古い歴史をもつ町で、ドイツの歴史上最も重要な都市のひとつに数えられます。
第2次世界大戦では、町の80パーセントが壊滅したこともあり、その町並からはやや近代的な印象を受けますが、古い歴史をもつ町だけに、アウクスブルクは逸話の宝庫。
ルターやマリー・アントワネット、モーツァルトなど、歴史上の人物ゆかりの地も多く、歴史に触れながら旅をすれば最高に面白い町です。
ヨーロッパきっての富を謳歌した町
アウクスブルクに黄金時代が訪れたのは、15~16世紀にかけてのこと。
当時、フッガー家やヴェルザー家といったアウクスブルクの豪商や銀行家は、ヨーロッパ全体に影響を与えるほどの権力と財力をもち、アウクスブルクは「ヨーロッパではほかに並ぶものがない」といわれるほどの繁栄を誇りました。
なかでも鉱山や金融で財を成したフッガー家の影響力はすさまじく、アウクスブルクの歴史はフッガー家抜きには語れません。
ヤコブ・フッガーの時代に最盛期を迎えたフッガー家は、アドリア海から北海までをも牛耳ったといい、教皇や皇帝・諸侯らにも融資を行っていたため、国際政治にも大きな力をもっていたのです。
フッガー家をはじめとする豊かな豪商や銀行家は、芸術を保護し、多くの華麗なる建築物を建てさせました。現在も見られるアウクスブルクの華やかな町並みは、彼らの貢献によるところが少なくありません。
アウクスブルクへのアクセス
バイエルン州で3番目に大きい町だけあって、アウクスブルクへの交通アクセスは便利。
近隣の主要都市からのアクセスは、ヴュルツブルクからICE(ドイツ版新幹線)で2時間~2時間半、ミュンヘンからはICEで約30分、フュッセンからは普通列車で1時間40分前後です。
ネルトリンゲンやヴィース教会など、ロマンティック街道の小さな町とあわせて巡るなら、ロマンティック街道バスの利用もおすすめ。(4~10月の期間限定運行)
市庁舎とペルラッハ塔
アウグスブルクが誇る市庁舎は、1615~1620年にかけて建てられた、「ドイツ・ルネッサンスの傑作」と称される壮麗な建物。
ファサードの上部には、帝国都市のシンボルである双頭の鷲が描かれ、てっぺんには、アウクスブルクの紋章にもなっている松ぼっくりが置かれています。
市庁舎の前には広場が広がっていて、広場を囲むようにしてカフェやレストランが並んでいます。夏の天気の良い日には広場に座って語らい合うアウグスブルクっ子たちの姿もたくさん。
市庁舎の隣には、市庁舎と同様、建築家エリアス・ホルによって設計された高さ78メートルの塔があり、塔の上からは市庁舎広場とその周辺が一望できます。
市庁舎の「黄金の間」
アウグスブルクを象徴する観光スポットのひとつが、帝国都市としての栄華を物語る、市庁舎の「黄金の間」。
その名の通り、2.7キロの金を使って装飾された空間は「豪華絢爛」という表現がぴったりで、その空間に足を踏み入れた瞬間息を吞むほどです。
市庁舎にこれほどまでに豪華絢爛な広間が造られた理由、それは、ここで帝国会議を催すためでした。
そのためには300人ほどが一堂に会せる広い空間が必要だったため、黄金の間はホール内に天井を支えるための柱を配置することなく造られました。これは当時としては画期的なことで、上から天井を引っ張ることで、空間内に柱を設けなくても重い天井を支えることができるようにしたのです。
天井の中央には、町の長たる為政者のモラルを説くフレスコ画が描かれ、その隣には統治される市民の心構えを説くフレスコ画が描かれ、見ていて飽きることがありません。
第2次世界大戦では市庁舎も大きな被害を受け、ほとんど壁しか残っていないような状態でしたが、できるだけオリジナルの素材を使って再建されました。
大聖堂
アウグスブルクで最も重要な教会が、聖母マリアを祀った大聖堂。その起源を7世紀に存在していたという小さな礼拝堂にさかのぼり、大聖堂の向かいには古い礼拝堂の遺構が残されています。
建物の西側は10~11世紀のロマネスク様式、東側部分は14世紀にゴシック様式で建てられたために、西側はレンガ造りの素朴な外観、東側は華やかさと重厚感が共存する白い外観と、まるでパッチワークのようにデザインが分かれたユニークな外観をしています。
この大聖堂最大の見どころは、1140年制作といわれるステンドグラス。旧約聖書に登場する預言者を描いた5点のステンドグラスのうち、4点がオリジナルで、これらは現存する世界最古のステンドグラスといわれています。
フッゲライ
「世界初の社会福祉住宅」として知られるのが、1521年にフッガー家によって設立された「フッゲライ(フッガーライ)」。市庁舎の「黄金の間」に負けずとも劣らない、アウクスブルクの人気観光スポットです。
フッゲライが設立された目的は、借金なしに貧しい境遇に陥ってしまった手工業者や大家族を救うことでした。緑豊かで広々とした敷地には、140戸あまりのアパートがあり、かつては学校や病院まで備わった「町の中の町」だったといいます。
入居の条件は、アウクスブルク市民であること、カトリック信者であること、罪科がないことなど。
興味深いことに、フッゲライは今も現役の社会福祉住宅で、入居希望者多数のため、フッガー家の末裔が書類審査と面接により入居者を決定しているといいます。
なんと、年間家賃は設立当初からずっと変わらない0,88ユーロ(88セント)!創設当初の家賃は年間1ライン・グルデンで、これは手工業者の2週間分の所得に相当しました。
過去500年間で、通貨の変更や物価上昇など、さまざまな変化があったものの、家賃の金額自体はずっと変わらないままなのです。
「社会福祉住宅」というと暗いイメージが付きまといがちですが、フッゲライはそんなイメージとは無縁の文化的な集合住宅。
一部の住居は博物館として公開されていて、設立当初の古いアパートと、現在のアパートの様子を見学することができます。
シェツラー宮殿(州立絵画館/ドイツ・バロック美術館)
アウクスブルクの富を物語る邸宅のひとつが、1770年に銀行家のフォン・リーベン・ホーフェンによって建てられたロココ様式の宮殿「シェツラー宮殿」です。
この宮殿最大の見どころが、ロココ様式の豪華な装飾が圧巻の「祝祭の間」。ヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」を彷彿とされる華麗なる空間には、誰もが目を見張ります。
実はこの宮殿、マリー・アントワネットがパリに嫁ぐ途中、アウグスブルクに滞在すると聞いた当時の持ち主、銀行家のフォン・リーベン・ホーフェンが、「ぜひマリー・アントワネットにここに滞在してもらいたい」と内装を豪華に調えたものなのです。
結局、マリー・アントワネットの宿泊は叶いませんでしたが、彼女はこの祝祭の間で3曲のメヌエットを踊り、バルコニーからアウグスブルクの人々に挨拶をしたという逸話が残っています。
16~18世紀のドイツ絵画を集めたドイツ・バロック美術館と、州立絵画館も併設されていて、巨匠デューラーに描かせたヤコブ・フッガーの肖像も必見です。
聖ウルリヒ&アフラ教会
2つの教会が同じ敷地内に同居する、ユニークな教会が聖ウルリヒ&アフラ教会。304年に殉死した聖アフラと、10世紀の聖人ウルリヒの墓所があるためにこの名が付きました。
奥にある大きな教会がカトリック、手前にある薄緑色のファサードをもつ教会がプロテスタントの教会です。
宗派の異なる2つの教会が同じ敷地内で同居しているのはきわめて珍しく、ルター派(プロテスタント)の信仰を認めた1555年の「アウクスブルク」の和議を記念して増築され、このような姿になったといいます。
アウクスブルクの歴史の深さを感じさせてくれる聖ウルリヒ&アフラ教会。カトリックの教会は後期ゴシック様式で建てられており、内部はキリスト生誕祭壇、ウルリヒ祭壇、アフラ祭壇の3つの祭壇が印象的です。
聖アンナ教会
数多くの建物が入り組んでいる場所にあるためあまり目立たないものの、アウクスブルクとドイツの歴史上、きわめて重要な教会が聖アンナ教会。
1509年には西側部分にフッガー家の墓所礼拝堂が設けられ、ヤコブ・フッガーとウルリッヒとゲオルグ、甥のレイモンドがここに眠っています。
フッガー家は自らの資金でこの墓所を建設したといい、随所にフッガー家のユリの紋章があしらわれているのに注目を。
宗教改革を行ったルターゆかりの地としても有名で、ルターは宗教裁判にかけられていたあいだこの教会に泊まり、裁判が行われたフッガーハウスに通ったといいます。
ルターが滞在した部屋は、現在宗教改革記念室として公開されており、1521年のヴォルムス帝国議会での神聖ローマ皇帝カール5世とルターの対決場面などが再現されています。
ユダヤ文化博物館&シナゴーグ
アウグスブルクには、ドイツでも比較的規模の大きなシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)があります。
ユダヤ文化博物館&シナゴーグは、アウクスブルクやその周辺のユダヤ人コミュニティの歴史や、ユダヤ人の文化を紹介する博物館を併設したシナゴーグ。
ユーゲントシュティール(アールヌーヴォー)様式とビザンチン様式、近代建築の要素を組み合わせて、1914~1917年にかけて建造された円蓋式建築です。
黒を基調として、黄金色の装飾が施されシナゴーグ内部は、息を吞むほどに荘厳。ピンと張り詰めたような独特の空気に気圧されそうになります。
ナチス・ドイツ時代のユダヤ人迫害により、一時は存続が危ぶまれたアウクスブルクのユダヤ人コミュニティですが、1990年代以降、旧ソ連諸国からのユダヤ人の移住により状況が一変。現在、アウクスブルクにおけるユダヤ人コミュニティは、1600人というこれまでにない人数に膨れ上がっているといいます。
モーツァルトハウス
大聖堂の北に、天才音楽家モーツァルトの父・レオポルドの生家である「モーツァルトハウス」があります。「神童」と呼ばれたヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父親であり、自らも優れた作曲家であったレオポルト・モーツァルトは、この家で1719年に生まれました。
モーツァルトハウスは現在、博物館として一般公開されており、館内にはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトも演奏したハンマーフリューゲル(昔のピアノ)や、楽譜、家具などを展示。
オーディオガイド(日本語あり)とともに、音楽一家だったモーツァルト家族の歴史と、当時の時代状況などを詳しく学ぶことができます。
ユーデンベルク
都会的な印象の強いアウクスブルクのなかでも、中世のしっとりとした趣が残っているのが、ユーデンベルク周辺。
モーリッツ広場から東へ延びる「ユーデンベルク(Judenberg)」という細い坂道を下っていくと、中世の時代には職人街だったという情緒ある町並みが広がっています。
地元の人にも人気の郷土料理レストラン「バウエルンタンツ」や、人気のジェラート屋さん、可愛らしいチョコレートショップなど、小さいながらも雰囲気の良いお店が点在。
かつては職人街だったというだけあって、陶器やインテリア雑貨のお店など、こだわりを感じるショップが並んでいて、お土産探しにもおすすめです。
おわりに
2000年の歴史をもち、一時はヨーロッパの金融・商業の中心地として栄えたアウクスブルクは、知れば知れるほど面白くなる奥の深い町。
少しでもドイツの歴史を学んだうえでこの町を訪れれば、アウクスブルクでの滞在がいっそう楽しいものになることでしょう。
協力:ドイツ観光局
Special thanks to the city of Augsburg